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SMAP解散の真相の新聞記事(中居正広,木村拓哉,稲垣吾郎,草なぎ剛,香取慎吾)
日時: 2016/08/28 11:18
名前: SMAP(スマップ)解散の真相の新聞記事

SMAP解散の真相
(日刊スポーツ)

 SMAP(スマップ)の解散は、リーダー中居正広(43)でも止めることはできなかった。年末で解散すると発表してから一夜明けた2016年(平成28年) 8月14日、解散に至るまでのメンバーの揺れ動きの詳細がさらに分かった。中居正広は、グループ存続を希望していたが、木村拓哉(43)以外の稲垣吾郎(42),草なぎ剛(42),香取慎吾(39)の意向を受け入れる形で解散を決意した。

< SMAP解散の真相(1)>
 メンバー間の溝が埋まらない中、ジャニーズ事務所が来年以降のグループ活動休止という結論を出したのは先月下旬だった。今月に入って木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の4人は、休業案をいったんは受け入れた。事務所はテレビ局上層部やスポンサーなどに「年内の活動をもって、しばらく休業します」と、内々に報告も済ませた。しかし、スケジュールの都合で、中居には最終的な意思確認ができていなかった。

 まとめ役である中居正広の気持ちを知ることは、グループとしての最終的な意思確認でもあるため、今月10日に他メンバーも集まることになった。しかしその場に木村の姿はなかった。今月に入って休暇を取り、家族を伴ってメリー喜多川副社長(89)らとハワイに長期滞在していた。木村拓哉は既にその時点で休業案を受け入れており、駆けつける必要がないと判断したとみられる。

 事務所関係者を交えた4人による話し合いをする中で事態は急転した。周囲は1〜2年間の休業を想定していたが、香取が休業ではなく解散を強く主張。草なぎも解散を主張した。2人の気持ちを知った稲垣も同調した。放送関係者によると、事務所関係者に「休業か解散か」の2択を迫られた中居正広は、3人の意思を尊重した上で「解散でいいと思う」と返答したという。

 2016年(平成28年) 1月の解散騒動時、中居正広は単独で事務所残留を決めた木村に不信感を抱きながらも、グループ存続を希望していた。5人がそろう唯一のレギュラー番組、フジテレビ系「SMAP×SMAP」の関係者に「1、2年休んで、またやればいいんじゃない」と存続を前提にしたプランも明かしていた。グループ活動は同番組のほか、特番出演や全国ツアーをほぼ2年に1回のペースで行う程度。それぞれのソロ活動に及ぼす影響も少なく、グループ存続は十分に可能で現状維持を望んでいたとみられる。

 5月には被災した熊本県を訪れて炊き出しを行ったが、1月の解散騒動以来、グループの活動に対する積極性を失った香取を誘った。中居正広がプライベートの時間にメンバーを誘うことはめったにない。これまでグループの方向性を決めてきたのは中居と木村。稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾はいつも2人の意思に従ってきた。中居と木村の間に生まれた溝が埋まらない中、2人に挟まれ、深く心が傷ついてしまった香取を気遣った上での行動だった。

 存続を望みながらも、最終的に「解散でいいと思う」と口にした。めったに主張してこなかった年下3人の意志の強さを感じ、グループ存続をあきらめた瞬間だった。巧みな話術と機転でグループをまとめてきた中居でも、解散を止めることはできなかった。


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< SMAP解散の真相(2)>
 SMAPは1月18日、メンバー5人がそろう唯一のレギュラー番組、フジテレビ系「SMAP×SMAP」の緊急生放送で解散騒動を謝罪した。事態は収束するかに思えたが、月数回行われたその後の同番組の収録の現場には、険悪な雰囲気が漂っていた。

 SMAPのプロデュースを手掛けてきた女性マネジメント室長I氏の独立に伴い、グループを存続させるために、ジャニーズ事務所退社まで決意した中居正広(43)稲垣吾郎(42)草なぎ剛(42)香取慎吾(39)の4人と、グループの分裂覚悟で事務所残留を決めた木村拓哉(43)。4人は最終的に事務所に残ってグループを存続させる道を選んだが、木村に対する複雑な思いは根強く残った。

 騒動を生放送で謝罪した直後、本来は温厚で、まとめ役の中居正広が声を荒らげた。稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人に向かって「(木村と)口をきくんじゃねーぞ!」と言い放った。謝罪のタイミングや方法に不満を感じ、感情的になってしまった。自分なりにグループをまとめようとしても、思うようにいかない焦りもあったのか、ある収録日では、木村を裏切り者と表現するような発言をしてしまい、スタッフが編集で慌ててカットしたこともあった。

 木村拓哉は緊急生放送で「これから自分たちは何があっても前を見て、ただ前を見て進みたいと思います」と話したように、ファンに謝罪できたことで騒動はいったん収束するとみていた。そこに他の4人との温度差が生まれた。努めて明るく振る舞う木村と、納得がいかない様子の4人。溝は深まる一方だった。

 SMAPのメンバーであるからこそ、仕事にも恵まれたと感謝している香取や草なぎは、とりわけグループ愛が強かった。2人は、中居と木村の確執を軸に目に見える形でバラバラになっていく状況は耐えられなかった。収録は月数回程度にもかかわらず、香取慎吾は周囲に「(メンバー)みんなと顔を合わせたくない」と漏らすほどだった。

 トークコーナーの収録で木村拓哉が何か話題を持ち出しても他メンバーが黙り込むなど内容が成立しないことも増えた。SMAPは、中居を中心にした軽妙な掛け合いが魅力の1つだけに「トークもつながらない。こんな状態では番組が続けられない」と漏らすスタッフもいた。

 微妙な空気はゲストにも伝わった。「バラエティーなのに、緊張感があり過ぎる。本当は出たいけど、今は出たくない」とスタッフに伝えるタレントもいた。悪化した空気を知られることを避けるためなのか、公開収録の人気コーナー「ビストロSMAP」もファンが観覧することができなくなった。

 国民的グループは、関係修復が難しい状況を好転させることができず、「解散」という道しか選択できない状況に、静かに追い込まれていった。


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< SMAP解散の真相(3)>
 SMAPは今年25周年。本来なら華々しく記念イヤーを飾るはずだった。

 1月の解散騒動が表面的には沈静化した後、5月にジャニー喜多川社長(84)が「(コンサートなどを)盛大にやるべきだと思う」と発言。スタッフは25周年プロジェクトとして次々とイベントを検討した。

 フジテレビ系「SMAP×SMAP」の放送20周年イベントや9月9日のデビュー日記念イベント、全国ドームツアーなどプランは多数浮上していたが、メンバーは前向きになれなかった。ある関係者は「具体的な提案をしてきたが、メンバーのノリが良くなかった。意見を求めても、消極的な答えが続いた」と証言する。

 3月に中居正広(43)が司会を務めたNHK「震災から5年 “明日へ”コンサート」は解散騒動前に決まっていた仕事でもあり、5人そろって生で歌唱したが、グループ活動はその後「SMAP×SMAP」だけになった。新曲の発表もなく夏を迎えた。

 毎年夏はフジテレビ系とTBS系の音楽特番に出演してきた。今年もフジ系「FNSうたの夏まつり」と中居正広が司会を務めるTBS系「音楽の日」から出演依頼が届いた。ジャニー氏と全員が面談を行ったのは6月。5人は総意として「(これらの番組に関しては)5人で活動できない」と訴えた。中でも香取慎吾(39)の意思は特に固かった。この時点でまず、夏恒例の音楽特番出演の可能性がほぼ消滅した。

 スタッフは9月のデビュー記念イベントや2年に1度のペースで行ってきた全国ツアーの実施を何度もメンバーに提案した。具体的に決まらない状況を知ったジャニー氏は自ら動くことを決意。日ごろはデビュー前のジャニーズJrのプロデュースに多くの時間を費やし、既に活動が軌道に乗っているグループやタレントは信頼するスタッフに託してきた。しかし煮え切らないSMAPの現状を打開するため、従来のスタイルを破り、自ら個別面談や全員面談を繰り返し、説得を続けた。

 しかし大規模で準備に時間が必要なドームツアーのプランは早々と消滅した。ジャニー氏の「デビュー記念イベントだけでもやりなさい」という説得にも応じられないほど、メンバーの姿勢は消極的だった。

 解散発表は8月となったが、音楽面では1月の解散騒動以降、ほぼ活動休止状態が続いており、いつ解散してもおかしくない状況にあったとも言える。

 今後は、新たにレコーディングする必要がないベストアルバム発表の可能性が残されているが、新曲の発表やライブ開催の予定はない。23回連続出場のNHK紅白歌合戦からのオファーは確実だが、辞退する可能性もある。

 毎年大みそかにジャニーズの所属グループが一堂に会する事務所主催のカウントダウン公演があるが、SMAPは1度も出演したことがない。ファンに直接最後のあいさつができる機会でもあり、出演が検討される可能性はあるが、今の5人にそれだけのモチベーションが残されているかは、不透明だ。


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< SMAP解散の真相(4)>
 今年1月の解散騒動以降、メンバー間の不協和音が解消されず、危うい状態が続いたSMAPの解散発表は、なぜ今月14日だったのか。決め手になったのは、唯一のグループ活動といえるフジテレビ系「SMAP×SMAP」(月曜午後10時)の終了時期だった。

 1月に解散騒動があったが、夏恒例の音楽特番へのオファーは届いた。しかし、7月に入って、メンバーから「今の状況ではグループ活動を続けるのは難しい」という要望があり、いずれも辞退した。すると所属事務所は、このままグループ活動を続けるのは難しいと判断。メンバーに休業を提案することになった。休業になれば当然、「SMAP×SMAP」の収録はできなくなる。番組終了の申し入れを決断した事務所は、想定される終了時期から逆算し、休業発表のタイミングを模索した。

 放送業界では、スポンサーへの配慮や後番組の準備などを考慮して「番組の終了は遅くとも3カ月前までに決めなければならない」という不文律がある。10月改編期(=9月番組終了)ならば、6月までにテレビ局側に終了を申し入れる必要があった。現実的には、次の(来年)1月改編期(=年内終了)が最も早いタイミングとなり、8月末までにテレビ局側と合意しなければならなかった。そこで事務所は7月下旬から今月にかけて、メンバー1人1人に休業を提案した。

 個別面談を終えると同時に、番組側に休業と番組終了を希望する意向を伝えた。各テレビ局幹部やスポンサーにも内々に休業を報告。発表は関係各所への根回しが完了する14日に設定された。それが事務所から正式発表できる最速のタイミングだった。

 ところが発表4日前の今月10日、「休業」が「解散」という結論に一変した。休暇でハワイに滞在している木村拓哉を除く、中居正広、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の4人がジャニー喜多川社長のもとを訪れた際、香取と草なぎが解散を強く主張。稲垣も同調した。事務所幹部に「休業か解散か」と2択を迫られたリーダー中居も3人の意向を受け入れた。翌11日の役員協議で正式に解散が決定。内容が「休業」から「解散」に変わったが、発表は「SMAP×SMAP」終了時期から逆算する形で、根回しなどを終えた14日に決行された。


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< SMAP解散の真相(5)>
 1月に表面化した解散騒動の責任を取り、SMAPのプロデュースを手掛けてきた女性マネジメント室長I氏は同月、退社の意向を示した。現場の混乱を避けるためSMAPの仕事現場から姿を消した。

 当時、SMAPが個人やグループで出演するテレビやラジオの番組は計22本。ドラマ、映画、CM、イベントも加えるとさらに膨大で多岐にわたった。長年SMAPの仕事を取り仕切り、全てを知り尽くすI氏の不在は想像以上の事態を引き起こした。

 2、3月は公式ファンクラブの会報や更新手続きの通知が遅延。I氏との強い信頼関係で契約が成り立っていたスポンサーは今後を話す相手がおらず、困惑した。新規で仕事を依頼しようにも「窓口はI氏」とされたそれまでの常識が通用せず「誰と話をしていいのか」と戸惑う関係者も多かった。毎年のように出演した稲垣吾郎(42)の舞台企画も白紙のまま。新規の仕事が決まりにくい状態が続いた。

 SMAPは事務所内では別格扱いで、仕事が決まるまでの流れやプロデュース方針はI氏だけが掌握していた。仕事依頼が届くと直接メンバーと話し合い、即断即決もあり得た。プロデュースを引き継いだ事務所スタッフは、現場マネジャーと1つ1つ話し合いながら、事務所幹部が最終確認した上で決めていく形をとるしかなく、どうしても時間や手間がかかる。I氏が担ってきたメンバーとのコミュニケーションも、スムーズな形で引き継ぐことができなかった。

 メンバーも、よき理解者で相談相手だったI氏の不在は大きかった。特に依存度の高かった稲垣吾郎、草なぎ剛(42)香取慎吾(39)の3人は孤立感を抱えるようになったとみられ、仕事に対する積極的な提案もしなくなった。

 周囲もグループ内の不協和音と、事務所側との微妙な関係を感じ取っていた。グループ唯一のレギュラー番組、フジテレビ系「SMAP×SMAP」の関係者は外部の業界関係者に対して「(メンバーと事務所の契約更新時期にあたる)9月以降は番組に何が起きるか分からないから、大物ゲストのブッキングは控えてほしい」と内々に伝えていた。

 1月の解散騒動、そしてI氏の不在によって狂い始めた現場の歯車。解散発表までの半年間、SMAPは先の見えないグループとして毎日を過ごしていた。


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< SMAP解散の真相(6)>
 ジャニーズ事務所では幹部の仕事のすみ分けが明確だ。メリー副社長とジュリー副社長らが経営面やマネジメントを担当する一方、ジャニー喜多川社長は新人の発掘や舞台制作など、プロデューサー業に徹してきた。育成までは手掛けるも、軌道に乗ったグループのマネジメントはジュリー氏らに任せてきた。

 だが、今回ばかりは別だった。5月に「僕は、命にかけても(解散させない)。SMAPは、わが子と同じですから」とSMAPの解散を否定。それ以降、メンバーたちと何度も面談した。メンバー5人それぞれ1人ずつの面談を2巡、さらに5人全員との同時面談を2回行った。20年来の付き合いだという親しい関係者も「あんなジャニーさんは見たことがない」と話す、異例の事態だった。

 直接会えない時は電話もかけた。結果的には「解散」を主張した草なぎ剛(42)に対して、何度も電話して意思疎通を図った。同じ「剛」のKinKi Kids堂本剛(37)との電話中に、「剛…。ええと、お前はどっちの『剛』だっけ?」と草なぎと混同してしまうこともあったという。関係者は「5月以降、スマートフォンの使い方についての質問が急に増えた気がします。電話だけでなく、メールやSNSでのコミュニケーションも模索していたのではないか」と証言する。

 ジャニー氏は昨年から、体調不良で入院することも複数回あったという。5月には「手術はしていないです。大きな病気とかではなく、もう84歳ですし、年からくるものですよ」と笑っていたが、歩くスピードは速くない。SMAPに対してなりふり構わぬ“命がけ”の面談作戦だった。


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< SMAP解散の真相(7)>
 「休業」でまとまりかけたSMAPの運命は「休業ではなく解散」という香取慎吾(39)の主張がきっかけで「解散」となった。「存続」を希望した木村拓哉(43)の願いはかなわなかった。香取慎吾はなぜ強硬に「解散」を主張したのか。

 メンバーになったのは11歳の時。最年少だった。視線には常に年上メンバーがいた。手本であり目標であり尊敬した。グループ愛は誰よりも強くなった。

 大変な仕事でも「SMAPですから」と涼しい顔をする。最近は公演の総合演出も任された。お人よしの草なぎ剛(42)を「(まるで僕の)弟になっちゃって。一番下なんですけど」と言う。SMAPを誇りに思い、強い責任感も持っていた。

 SMAPをサッカーチームに例えたこともあった。「木村君と中居君がツートップ。DFは稲垣君。草なぎはGKで、実は司令塔が香取慎吾です(笑い)」。5人そろう取材現場では、リーダー中居正広(44)と違った立場でフォローや雰囲気づくりを担い体面を守った。7年前に言った。「SMAPが本当に大好き。ファンなんです。だから僕は一生SMAPでいたい」。

 木村を尊敬して慕った。「厳しいけどやさしい。僕はあんな風になれないけど憧れです」。木村も何かと目をかけた。香取がサッカー日本代表に関わる仕事の日にはメールで励ました。香取慎吾はうれしそうにいつも文面を紹介した。

 1月に表面化した独立騒動。たとえグループが分裂しても、単独で事務所に残留するという木村の決断に驚き不信感を抱いた。大好きだったSMAPを混乱させたのは木村と考えた。メンバー間に生まれた確執はくすぶり続け、香取慎吾は周囲に「もうメンバーの顔も見たくない」とこぼした。愛していたからこそ絶望する気持ちが最も強かった。かつてこう言っていた。「チームのメンバーを本気で嫌いになった時は、本当におしまい」。その言葉が現実になってしまった。

<香取慎吾が日刊スポーツに語ったSMAPや木村拓哉への思い>

 ▼「いろんなタイプのお兄さんがいてアドバイスもたくさん聞いた。いい部分はたくさん吸収した」(00年2月インタビュー『日曜日のヒーロー』)

 ▼「(子供のころ遊んでいた)山からいきなりSMAP。2つしか知らない。SMAPがダメになったら戻る場所はもう山しかない」(00年9月『日曜日のヒーロー』)

 ▼「試合終わってすぐ木村君から『YES! ドイツ決定。あまり飲み過ぎるなよ。お疲れ』とメールが届いた。よくメールをもらうんです。バーレーン戦後、半端じゃないぐらいお酒を飲んでしまったので早速クギ刺されてしまいました(笑い)」(05年6月サッカー日本代表がW杯出場決定直後の連載『香取慎吾の見た聞いた思った』)

 ▼「(W杯ドイツ大会観戦出発前に)木村君から『頑張ってこいよ』と声を掛けられました。『ENJOY!』というメールも」(06年6月『香取慎吾の見た聞いた思った』)

 ▼「(SMAPのように)1度仲間と思えた人は、ダメなところ、嫌なところが見えたとしても、それも含めて好きになっちゃうんです」(07年6月連載『THE香取慎吾』)

 ▼「(SMAPで)バラバラ感を感じたことはいっぱいある。一番難しいと思う時は全員での仕事。納得いかない時があっても適当に口先だけで言ってるんじゃないだろうと信じ合ってる」(10年6月W杯南ア大会直前インタビュー)

 ▼「常にコンサートやアルバム、新曲のことが頭にある。携帯には構想のメモがたまっています。そこでしか生きてないんで」(11年5月インタビュー『サタデージャニーズ』)

 ▼「本田圭佑選手は紛れもなくスーパースター。SMAPでいうと木村君という感じです」(12年6月のW杯ブラジル大会予選観戦記)

 ▼「仕事がうまくいかないことは山ほどあります。でもやり続けることは大事で気持ちの切り替えや難しいことだけど忘れることもすごく大事。それができないとSMAPは続いていない」(13年3月W杯最終予選観戦記)

 ▼「(本田選手のように)やってくれる人はやってくれる。SMAPでいうところの木村君です」(13年6月W杯最終予選観戦記)

 ▼「僕らはギリギリのところでやってる。悠々と立っているように見せかけて実はしがみついていたり。追い込まれた時のパワーでやってきてる」(14年6月W杯ギリシャ戦観戦記)


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< SMAP解散の真相(8)>
 解散発表3日前、休業ではなく解散を主張した香取慎吾(39)の意見に真っ先に賛成したのは、草なぎ剛(42)だった。

 稲垣吾郎(42)が2人に同調したことで解散が決定的になった。1月の解散騒動以降、草なぎの強い思いが感じられたのはこの日が初めてだったかもしれない。中居正広(44)や木村拓哉(43)、香取の言葉や主張は周辺にも届いていたが、グループやメンバーに対する草なぎの意見や言葉は、不思議なほど聞こえてこなかった。

 関係者によると、ラジオやバラエティー番組の現場でも、楽屋裏でも、グループについて話したり、相談することもなかったという。レギュラー出演するテレビ朝日系「『ぷっ』すま」で18年間コンビを組むユースケ・サンタマリア(45)の前でも、いつもと変わらぬ様子で、関係者も「何事もなかったように振る舞っていました」と話す。共演の若手タレントらには、笑顔で気さくに声を掛ける姿も印象的だったという。

 「沈黙」の背景に見えるものがある。09年に不祥事で逮捕された後、約1カ月間、芸能活動を自粛した。謹慎中、メンバー全員から励ましの連絡をもらっていた。特に、プライベートでも仲が良い香取からは毎日のように電話があり、自宅にも訪問してきた。出演番組などで自分のために頭を下げる香取を見て、2度とメンバーに同じことをさせないと固く決意した。復帰時に「一緒に仕事ができることが幸せ」としみじみと言った。グループに支えられた自分を強く認識しながら芸能活動を続けた。

 香取同様、仕事に恵まれているのはSMAPのおかげと感謝の気持ちを強く持っている。不祥事の影響で脱退してもおかしくない状況から復帰しており、グループで活動できる幸せを人一倍感じている。

 今年5月以降、ジャニー喜多川社長や事務所幹部と面談した際、雑談には応じても、グループの今後の話になると口をつぐむことが多かったという。草なぎの思いが周辺に知られることもなかった。

 メンバー全員に「借り」があるからこそ、意見する立場にはない。そんな思いの末に選んだ「沈黙」だったのかもしれない。


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< SMAP解散の真相(9)>
 解散の背景とされる中居正広(44)と木村拓哉(43)にあった深い溝。1月に表面化した独立騒動で対立は決定的となったが、かつて2人は強い絆で結ばれていた。

 高校の合否発表は、中居と木村拓哉、2人の母親と4人で見に行った。木村を好きな女子のため、中居正広がその女子と木村拓哉、別の女子を誘い、東京ディズニーランドでダブルデートしたことも。中居正広は以前、ラジオで「結成20年間で最も楽しかったこと」に、レギュラー番組収録現場だった西武園ゆうえんちに、テレビ局が用意したハイヤーで、同じ高校の木村と2人きりで通ったことを挙げた。木村もラジオで「中居正広が編集したテープを毎週聴きながら行ってましたね。今週も『プリプリ』入ってんなぁとか」と振り返った。

 デビュー曲は思うほどヒットせず、アイドルグループとして危機を感じた時は飲みに行きグループの方向性を真剣に話し合った。木村拓哉が00年に結婚会見をした後、中居正広が全メンバーを食事に誘い「おめでとう会」を焼き肉店で開いた。

 その後、SMAPはスターダムを駆け上がり、ソロ活動も充実し始める。中居正広はバラエティーを中心に司会、木村拓哉はドラマを中心に俳優と、それぞれトップの地位を築いた。異なる分野で活躍し、互いに認め合う関係になった。

 女性マネジメント室長のI氏の退社に伴い、グループ存続のためI氏が不可欠と考えた中居正広、稲垣吾郎(42)草なぎ剛(42)香取慎吾(39)は独立を決意。木村拓哉は分裂覚悟で事務所残留を決めた。木村拓哉は、グループ存続を願う中居に説得されたが応じなかった。2人に決定的な亀裂が生まれた。

 以降、1月にグループ唯一のレギュラー番組フジテレビ系「SMAP×SMAP」の収録現場で、中居正広、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取の4人が木村に話し掛けることはなかった。雰囲気を察したのか、木村も4人が話す場に加わろうとしなかった。

 トークコーナー収録で自分が話題を振っても誰も答えない時があり、木村拓哉は「何であいつらはちゃんとやらないんだよ」と吐き捨てるように言った。歌唱収録でも息の合ったパフォーマンスができなくなった。「何であいつらはノリが悪いんだよ」。木村のいらだちは続いた。

 同番組の生放送で謝罪したことで騒動は収束すると考えた木村と、木村に裏切られたとの不信感が強く残った中居。ともにグループ存続を望みながら、メンバー間に生じた確執を取り除くことはできなかった。結成以来、グループの方向性を決めてきたはずの2人の後ろ姿を見た香取慎吾、草なぎ剛、稲垣は、未来を感じることができず、解散という結論に向かってひた走った。


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< SMAP解散の真相(10)>
 今年1月、SMAPのプロデュースを手掛けてきた女性マネジメント室長I氏が退社した。これに追従し、独立を画策した中居正広(44)稲垣吾郎(42)草なぎ剛(42)香取慎吾(39)と、ジャニーズ残留を決めた木村拓哉(43)の対立が、最終的にグループを解散させた。では、仕事相手だった芸能事務所関係者らは、どう見ていたのだろうか?

 SMAPをデビュー時から見てきたあるベテランの芸能事務所社長は「この15年間で、木村さんとほか4人の人生の価値観は、全く変わっていった。致し方ないこと」と指摘する。木村拓哉は、00年に工藤静香(46)と結婚。2児の父の顔も持つ。

 1月に、4人は1度はI氏と一蓮托生(いちれんたくしょう)の道を選んだ。ただ、木村には守るべき家族がいた。1度は恩人I氏との独立も考えたが、妻とも話し合った上で残留を決めたとみられる。「所帯持ちの男として、残留はまっとうな判断だよ。ジャニーズの後ろ盾がなくなった瞬間に、プライバシーも保障がなくなる。独立した瞬間から、子供の写真をさらされたりする危険性も出てきていた」と説明した。

 大手芸能事務所の所属だと、個人事務所よりも収入は低い場合も多いが、その一方で安定的な私生活や仕事が保障される。「木村さんのような成功者なら、なおさらお金よりも、家族の安全な生活を優先するのは当然でしょう。ただ、独身の4人に、その価値観を理解してもらうことが困難なのも、仕方がない。どちらが正しいという話ではない」と話した。

 某芸能事務所社長は、さらに付け加える。「SMAPにとってI氏は確かに大恩人だが、そもそもジャニーズ所属だからこそ、成功したのも事実。SMAPに限らず、苦楽を共にした事務所を独立して、その後も同じように成功し続けたタレントは、極端に少ない。芸能界は全体として、そもそもの独立構想が、間違っていたと考えているよ」。

 ジャニーズ事務所が、独立したタレントの活動を妨害することは決してない。ただ、ジャニーズの仕事相手らが忖度(そんたく)や自主規制をして、独立したタレントを起用しづらくなることはある。いい悪いではなく、それが現在の日本の芸能界でもある。


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< SMAP解散の真相(11)>
 「ここで解散するとは思わなかったね」。芸能関係者の中で業界歴の長い人ほど驚きが大きかった。今年1月、中居正広、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取の4人は、SMAPを手掛けてきた女性マネジメント室長I氏の退社に追随せず、解散、分裂を回避したが、結果的に解散した。ある芸能事務所社長は「覆水盆に返らずか。1度決めたことを翻すのはよほどのこと。この半年間、本人たちも想像つかなかったほど苦しい日々だったのだろう」と話す。

 別の事務所社長は「20年前から常に危ういグループだった」という。98年から毎年大みそかにジャニーズタレント総出演の「カウントダウンライブ」が行われたが、SMAPは出演しなかった。テレビ各局の制作陣にも「I氏派」とSMAP以外のグループを対象にした「藤島ジュリー景子派」が形成された。ドラマや映画でジャニーズの相手役を務める女優も両派に分かれた。「ここ15年ほどSMAPと共演した女優が、嵐やTOKIOらと共演することは極端に少ない。女優を抱えるプロダクションもどちらかとの共演に絞らなければならなかった」。

 I氏としてはSMAPをトップに導くため、違いを際立たせる戦略だったかもしれないが、他のジャニーズタレントと交流させず、業界内にもその影響が及ぶようになったことは、芸能界に妙な緊張感をもたらし続けた。別の事務所社長は「ジャニーズは一族経営で後継者がジュリー氏なのは明白。SMAPの将来のためにも事務所内で協調していくのはI氏の役目だったのだが…」と疑問を呈す。

 「長年のプロデュース方法がSMAPを超人気者に押し上げたが、一方で孤立させ、トラブルの火種を生み出した。解散は必然だったのかもしれない」。SMAPに好意を持つ事務所社長ですら残念がるしかなかった。




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< SMAP解散の真相(最終回)>
 SMAPの5人は来年以降、それぞれソロとして活動することになった。1月の解散騒動後から今も、個人活動はそれぞれレギュラー番組中心の“現状維持”が続いている。

 単独での仕事に関して、一部メンバーは来年の連続ドラマ主演が内定しているが、かなり前から決まっていた仕事。これ以外の個人での新たな仕事は決まっていないとみられる。

 放送、映画、広告などの各業界では、メンバーの不協和音が伝えられると、グループとしてはもちろん、個人での仕事依頼の発注も控え、推移を見守る関係者が増えた。全てを取り仕切っていた女性マネジメント室長I氏がいなくなったことで、スムーズな形で仕事が決まりにくい状態が続いている。

 業界では、SMAPのメンバーであることのモチベーションを失い、休業ではなく解散を真っ先に強く主張した香取慎吾(39)を心配する声が相次ぐ。先日、05年から務めたテレビ朝日サッカー日本代表応援団長を辞退した。実は1月の解散騒動後、単独で長く続けてきた仕事を表立って断ったメンバーはいない。香取の決断はよほどのこととみる関係者は多い。放送関係者の間で、来年以降、香取のレギュラー番組存続は危ういとする声も上がっている。

 メンバー5人はそれぞれ来年9月、再び事務所との契約更新時期を迎える。単独での仕事がなかなか決まらないという今の状況が続くようでは、ジャニーズタレントとしての未来が明るいと簡単には言い切れない。(おわり)


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