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ザ・ベストテンの秘話エピソード(1980年代の音楽番組の思い出)
日時: 2016/06/10 21:15
名前: ザ・ベストテン

ザ・ベストテンの秘話エピソード

 久米宏と黒柳徹子の司会で、1978年1月にスタートした歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)。お茶の間に浸透し、驚異的な視聴率を叩き出した。

 長きにわたって音楽シーンを牽引していく歌手たちが綺羅星のごとく並んだ1981年9月17日、番組は歴代の最高平均視聴率41.9%を記録した。その伝説の番組の、今だから言える裏話を紹介する。

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(*)西田敏行を入れて3人司会?

 黒柳徹子と当時TBSアナウンサーだった久米宏との軽妙なやりとりが話題を呼んだが、実は番組立ち上げ時、西田敏行を加えた3人で司会をする構想があった。黒柳と西田が場を盛り上げ、久米が進行を担当する予定だった。しかし、オファーはしたものの結果的に西田のスケジュールが合わず、その話はなくなったという。


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(*)アルフィーのサプライズが不発

 1984年に、THE ALFEEがランクインした『恋人達のペイヴメント』で出演。そのとき、ファンの自宅をサプライズで訪問する企画が進められた。「でも、当日、ファンの自宅に行ってみると、留守。仕方なく家の前で中継すると、カラオケテープがよれよれで音がうまく出ず、歌いづらくなるというダブルハプニングだったそうです」(元プロデューサー・齋藤薫さん)。

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(*)「法事」を理由に辞退した井上陽水

 出演辞退するニューミュージックの歌手が多かったが、井上陽水は1度だけ出演している。プロデューサーだった故・山田修爾さんは以前、本誌の取材にこう語っていた。「井上さんには何度も交渉して、1984年11月に『いっそセレナーデ』でランクインした時に、ようやく出演してくれました。翌週も出てもらえると思ったら、辞退されてしまって。その理由が『法事のため』。陽水さんの真骨頂だと思いましたね」。

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(*)松山千春のトークで百恵歌えず

 松山千春も出演したニューミュージックの歌手のひとり。『季節の中で』で“最初で最後の出演”という約束で、北海道旭川のコンサート会場から生中継での出演となった。当初の予定では冒頭3分間のMCの予定だったが、松山は8分間、しゃべり続けた。結果、その日1位だった山口百恵さんは歌を披露する時間がなくなってしまった。


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(*) ザ・ベストテン
http://goo.gl/yIMUbM

70年代後半から80年代にかけて一大ブームを作ったTBS伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」のオフィシャルコンピ企画。今年は、1978年の放送開始からちょうど30周年のメモリアルイヤー。番組でお馴染みのヒット曲の収録はもちろん、テーマ曲やセット図など当時を思い起こすわくわくさがいっぱいの内容になります。レコード会社5社による共同企画。ユニバーサル ミュージック、ポニーキャニオン、ビクター、コロムビア。





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